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栃木県宇都宮市のパワースポット二荒山神社の鳩の餌やりとランチ

   

栃木県宇都宮市在住の友人に、久しぶりに会って遊ぼう、とのラインをしたところ、以下のような提案を受けた。

栃木県宇都宮市のパワースポット二荒山神社の鳩の餌やりとランチ

すなわち、中央公園(桜通り十文字のバス停から徒歩数分の距離)で魚類と鳥類に餌をあげて、近くでランチを行おうというものである。

非常に魅力的な提案に思えたため、これを快諾した。


景色の見えるパークサイドで優雅なランチ

魚と鳥に餌をあげられる公園の近くでのランチということは、優雅な公園の景色を眺められるテラス席あるいはガラス張りの高級レストランでのランチということになるのだろうか。

メニューはフレンチであり、本日のメインから、肉か魚のいずれかを選択するのであろう。

魚はホワイトソースのポワレか何かだろう。肉はローストビーフか何かであろうか。

昔は格安の牛丼チェーン店や割引の惣菜などで飢えをしのいでいた学生時代を共に過ごした友人である。

当時はお金がなく、貧乏であった。

飯を食おうといえば、近所の安い学食か牛丼屋、ひどい時には、スーパーで買ったパンをかじるような場合もあった。

それが、思えば遠くまで来たものである。

「飯」という言葉ではなく、「ランチ」という言葉遣いになった。

また、このような遊びの提案を事も無げに自然に出してくるということは、日常茶飯事のことなのだろう。

昨今あらゆる公共の場所での鳥や魚への餌やりは禁止されている。

しかし、一部の場所ではそのような餌やりが可能のまま残っている。

彼の知っているその場所も、一部VIPのみの立ち入りが許されたプライベートゾーンなのでは無いかと推察された。

「中央公園」という場所は大昔に一度しか踏み込んだことはないが、確か県立博物館があるような、文化的で静謐な場所だったのではないかと記憶している。

文化的な遊びをさらりと提案してくるこの優雅さ。

彼は勝ち組になったのだ。

そしてそのような提案を普通に受け止める自分もまた、勝ち組であるといえた。

そして当日の集合場所は、宇都宮市街にあってパワースポットとしても一部界隈で知られている二荒山神社、という場所であった。

上記中央公園からのアクセスとしては距離にして1.5キロメートル弱は離れており、徒歩にして30分はかかるくらいの場所である。

要するに、いろいろあってやっぱ最初の案をやめて二荒山神社の鳩にでも餌をあげようということになったのだ。

近くのバス停で集合すると、挨拶もそこそこに、二荒山神社の大きな鳥居を抜けて階段を上がり、境内に入った。

鳩にパスコの超熟をあげるという勝ち組感

栃木県宇都宮市のパワースポット二荒山神社の鳩の餌やりとランチ

二荒山神社の境内に入ると、すぐに大量の鳩が押し寄せた。

この鳩は、宇都宮市民にとって馴染み深いものであった。

ここで幼少期を過ごした人は少なからず、境内でポップコーンを買い、鳩に餌をやるという遊びをしていた。

しかし、境内のどの場所でポップコーンが販売されているのかよく覚えていないし、ぱっと見、そのようなお店は見当たらなかった。

どこかに自動販売機でもあるのだろうか。

しかし昨今、鳩への餌やりは、糞害の影響等による近隣住民への被害を考慮して、世間的に禁止される方向に向いている。

ここもそのように禁止されているのではないかと考えられた。

すると彼は、「はい」といって私に「パスコ」の「超熟」を差し出した。

私はふと立ち止まって考える。

私は毎日のように食パンを買っているが、「超熟」は比較的高価格帯に位置付けられるものであった。

そしてそのふんわりとした優しい食感は、勝ち組そのものである。

つまり彼はこう言いたかったのだ。

昔はお金がなくて、お互いにパンをかじりながら苦労した日もあった。そしてそのパンも、6枚切りで100円程度の安いパンであった。
しかし我々は徐々に成功し、今やパスコの超熟を買えるまでに成し遂げた。
どうだ。昔同様、お互いにパンを食べて旧交を深めようではないか。
しかしかつての我々の状況に縮退して昔同様の安いパンをかじって当時を懐かしむという意味ではない。
昔のシチュエーションを再現して昔を懐かしみながら、そのパンのみを高級化することで、互いの親交と成長を同時に実感しようという提案だ。

私はそれを理解して、「超熟」をかじろうとすると、彼は無言でポイポイ鳩の群れに超熟を惜しげも無くちぎっては投げていった。

鳩は、「超熟」のもっちりふわふわとした優しい食感と、口に広がる豊かなパターの味に驚きを隠せなかったと思う。

あまりの美味しさに、ハトの群れはほとんど喧嘩の状況で取り合いを始めた。

中には、背中にパンのかけらを載せて誰もいない方向へ逃げる鳩もいた。

独り占めである。

それを見て他の数羽の鳩が追いかけた。

大きなかけらには複数の鳩が同時にかじりつこうとする。

そのため、パンのかけらがなんども上空にジャンプしていた。

彼らには飯への貪欲なパワーがあった。

まさにパワースポットであった。

やがて、呆然としている私の手元に、鳩が襲いかかってきた。

私の持つ「超熟」を狙っているのだ。

怖くなって私は少しちぎって遠くに投げ、身の安全を確保した。

そこにおいてようやくこの作業の意味を理解したのである。

これは鳩への餌やりではなく、これこそが「ランチ」なのであった。

ハトとのランチ

餌という表現からは、乾いた粟やヒエといった、味もそっけもないものを想起する。

しかし、超熟はもはや餌ではない。そのままでも食べられて優雅な気分が得られるパンであり、鳩にとってこれは「ランチ」だ。

そして人間にとっても、超熟のような美味しいパンは、屋外で立ちながらそのまま食べても優雅な時が流れる。
すなわち「ランチ」である。

「鳩の近くでランチ」というのはこれを意味していたのだ。

我々は社会的になしとげつつあり、我々の食い扶持のみならず、ハトという他者に高級なランチを提供するという心のゆとりまで得られるようになった。

自分だけ良ければそれでいいというわけではない。

他人と喜びを共有してこそ真の勝ち組であり、社会的にそれなりの地位についたら、そのようなボランティア精神を持たねばならない、ということを彼は言いたかったのだと思う。

よって彼は「鳥類に餌」という表現をしたものの、それは世間一般的な表現をしたに過ぎず、真意は「鳩に餌」なのだろう。

それはまた、仮に「鳩に餌をあげるのは禁止」であったとしても、「鳩にランチを提供する」場合にはそれに該当するのかどうかという議論にも至る。

「餌」という投げやりな表現の場合、もらった側も「所詮これは餌だ」と蔑んだ心を持ち続け、やさぐれて近隣に迷惑をかけるような行動をするかもしれない。

しかし「美味しいランチをご馳走してもらった」となればどうだろうか。

きっと、「優しさを受けた」と感謝の気持ちを持つことだろう。

そしていつかは自分も社会的になしとげて、他者にそのような優しさのおすそ分けをしたいと思うに違いない。
そうなれば、近隣への迷惑などしなくなるのだろうか。

彼のそのような深い考えを噛みしめていると、彼は振り返って、「じゃあお昼ご飯でも食べようか」と、まるでもう餌やりが飽きたかのように言ったので、近くのおすすめの店で昼食にすることにした。

私も、自分が通常食べている食パンよりも高級な食パンを貪り食うハトが、大した努力もせずにフリーランチにすがっているだけのみすぼらしい奴に見えてきて、もうパンをあげたくなかったから、すぐに賛成した。

美味しい飯を食いたかったら自分で努力しなさい。

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