宇都宮市オリオン通りのカレーショップフジは世代を超えておすすめだ
どうしても食べたいカレー屋がある。
数年間ずっと行きたいと考えていたが、機会を得られずに未だ行けていないでいる。
そこで今回、ぜひ行くことにしたい。
ということを母親から告げられたため、母親、私、私の妻、私の息子の4人パーティーで、そのカレー屋に行くことにした。
名前は「フジ」と言い、場所は栃木県宇都宮市の一等地オリオン通りにある、とのことだった。
Contents
カレーショップフジは宇都宮で知らない人はいないカレー屋である
さて、オリオン通りを東武デパート側から歩くこと数分、母親が自信満々に指差し、「この店だ」と言った。
その方向には、八百屋があった。
八百屋の名前は「八百藤」だった。
「八百藤」の「藤」の発音が「フジ」であるため、店を勘違いしているものと推察された。
あるいは本当にこれがカレー屋なのか。
私は母にこう言った。
「私の目には、これはカレー屋ではなく、どちらかといえば八百屋に見える。しかし名前に藤と付いている。ということは、この八百屋の奥がカレー屋になっているということか。知る人ぞ知るカレー屋フジは、見た目は八百屋であっても、実際はカレー屋を営んでいるということか」
すると母は、「違う。カレー屋のフジは八百屋ではない。したがって、なぜこの店は「藤」と付いているのに八百屋の外観をしているのかわからない」と困惑している様子だった。
加えて、「この八百屋の藤の店員に、カレー屋のフジの場所を訪ねようか」との提案をしてきた。
しかし私は、八百屋の藤の他にカレー屋のフジがあるに違いないとの確信をしていた。
八百藤とカレー屋のフジとは全く別物に違いないのだ。
そして、そのように八百屋の藤に、「カレー屋のフジ」の場所を聞くことは、半ば八百屋の藤を侮辱するような行為と捉えられかねないため、八百屋の藤は今回は気にせず、引き続きカレー屋のフジを探そう、と私は提案した。
その後カレー屋のフジを探すために歩いている間、母が「グリル冨士(グリル富士?)」なるお店のステーキが美味しい、との話をしていたため、もはや「フジ」なる店がカレー専門店なのか、カレー、八百屋、ステーキ等を手がける総合的な企業、すなわちフジホールディングスなのか、あるいはもっと別の抽象的な概念なのか、もはやわからなくなってきていた。
そのように私が混乱し、まさに錯乱状態の入り口に足を突っ込み始めたおり、突如として「カレーショップ フジ」は姿を現したのである。
カレーショップフジは確かにそこに存在した。抽象的な概念ではなかった。
のみならず、私は学生時代に何度もこの店の前を通り過ぎており、その名前こそ覚えてはいなかったものの、オリオン通りに馴染むその外観は、私の記憶の片隅に残っていた。
しかしカレーショップフジは私にとって風景の一部として日常の空間を形作るオブジェにしか過ぎなかった。
あまりにもハイカラな雰囲気すぎたからである。つまり高貴。
ロールプレイングゲームで風景の一部として描かれた民家や店の中に入ることができないように、私にはカレーショップフジに入れるようなプログラムは組み込まれいないものと考えていた。
中に入るという発想すら浮かばなかった。
カレーショップフジはオリオン通りの風景としておなじみではあっても、まさかこの店の中に入って食事をできる日が来るとは思ってもみなかった。
ところで、この看板には興味深いことが記載されている。
飲むと愉快だ宇都宮
このメッセージとともに、カレーライスの写真。
一般的にはカレーライスは食べ物であると認識されているが、一部の界隈では、「カレーは飲み物」との意見もあるらしい。
いずれにせよ、カレーを飲んだら愉快な気分になることは間違いない。
さらに言えば、上記写真には、ハンバーグやエビフライ、キュウリや唐揚げ等も載っていた。
これらを「飲む」ことで、さらなる愉快さに突入できることは容易に推測できた。
宇都宮で知らない人はいない!?カレー屋といえばここ! カレー専門店として48年。小さなお子様でも食べられるマイルドなカレーは、大人にはどこか懐かしい味♪
確かに、この店の外観は宇都宮で知らない人はいないと思う。
なぜなら、一度も入ったことがない私であっても、オリオン通りの重要な店として位置づけられていることは容易に想像できたからだ。
しかしこの店に入ってカレーを食べるのが宇都宮市民として当たり前だというようなことが表現が掲載された看板を見ると、もしかして宇都宮市民で私だけがこのカレー屋に入ったことがなかったのか、という歯がゆい思いがした。
同じ釜の飯食った山田も竹田も鈴木も竹田も禰宜助も室行事山滑太郎もみんな私に黙ってこっそり「フジ」でカレー食っていたに違いないのだ。
「ダーヤスには内緒でフジにカレー食いに行こうぜ」
と彼らはいつも言っていたに違いない。
私は周回遅れだったのか。
しかしまだ間に合う。
今まさにこの「カレーショップ フジ」でカレーを食べようとしている。
十数年かけてようやく彼らに追いつくことができる位置に到達した。
そして周回遅れを挽回して彼らを一挙に出し抜いてやる。
昭和40年に創業され、宇都宮外から何度も通い続けた
カレーショップ フジ
と記載されている。
一見すると「フヅ」にも見えてしまう。
これは深い意味合いが込められたフォントである。
なぜなら、栃木訛りの強い人においては、「ジ」の発音が「ヅ」に近くなってしまうからである。
その栃木オマージュが込められたフォントであると推察される。
この地図、左側に「東京街道」との記載がある。
宇都宮なのに東京街道。
これはどういうことかと悩んでいると、母が当時のことを語り出した。
「昭和40年と言えば、お前らのように東京に簡単に行くことはできなかった。逆に、東京から栃木に来たものがいれば、街中で話題になった。東京人を見に行こうと」
私はその光景を思い浮かべた。
東京から来てわざわざこのカレーを食べて帰る者もいたのだろうか。
「私も氏家(今のさくら市)から電車でこの店に通い詰めた」
そうか・・・それほどの魅力があったカレー屋なのか、と思うとともに、私はハッと目を見開いた。
母は常連だったのか。
そして常連であるにもかかわらず、八百屋と間違えた事実に照らした際に、最後に母がこの店を訪れてからの年月の深さをしみじみ考えるのである。
どれも美味しそうなメニューで迷ってしまう
店内は、懐かしい感じのカレーの香りが充満していた。
レトロな喫茶店のような雰囲気で、美人な店員さんの服装も、どことなくレトロ感があった。
サッカー談義に花を咲かせている客がいたのも、ゆっくりとした時間の流れを私に感じさせた。
その心地よさでメニューを開くと、せっかくのゆったりした気持ちが焦りに変わった。
私がメニューを選ぶにあたり、以下の制約があったからである。
2歳児の子供の食事も兼ねているが、子供はカレーが苦手
子供には簡単なお弁当をもたせてはいるものの、何かしら温かいおかずをあげたかった。
先ほどの看板では、子供が食べられるほどに「マイルド」との記載があったが、我が子は市販の甘口カレーでもそのからさが苦手で、離乳食用のアンパンマンカレーレベルのマイルドさでないと食べられない。
そこで、おかずがたくさんついていそうなメニューを選ぶ必要がある。
なお、おかずとしては、生ものはまだ食べられないものがある。
その条件を考えると、「ハンバーグカレー」「玉子カレー」「カツカレー」「ホタテカレー」「エビカレー」が魅力的に思えた。
チキンカレーやビーフカレーなどの堅そうな肉も子供は苦手だし、カレーが少しでもついていると食べない。
しかし魚介類は大好きである。玉子も同様。
ところが、ここでさらなる制約が課される。
私が胃もたれをしていた
胃もたれしているのにカレーを食べること自体あり得ないかもしれないが、カレーのように液体に近ければ食べられる。
だが、フライのような揚げ物が相当きつい。
例えば「エビ」は子供の大好物だが、「エビフライ」をあげる場合には、衣をはいで中身の肉の部分だけを食べさせるように心がけている。
衣は炭水化物を油で揚げただけのものであり、健康上よくないからだ。
しかし、衣といえども食べ物であるため、残してしまって廃棄食品とさせてしまうのは申し訳ない。
そこで衣だけ親の私が食べることになる。
だが、上記の通り、私は揚げ物が食べられないくらいに胃もたれをしているため、衣のみを食べることが困難である。
よって、揚げ物のおかずは無理であるため、エビカレーは消えた。
ここで気になるのが「ホタテカレー」である。
私は店員さんを呼び、「ホタテ」がフライであるか否かを尋ねた。
フライです、ということを、店員さんは可愛らしい笑顔で答えてくださった。
よって「ホタテカレー」も消えた。
残るは「玉子カレー」か「ハンバーグカレー」である。
卵もハンバーグも子供の好物である。
しかし後者のハンバーグは、色合い的にカレーに似ている。
もしかしたらカレーの一部であると勘違いされてしまい、全く食べてくれない危険性を予見した。
その場合、私が責任持ってハンバーグを食べることになるのだが、上記の通り胃もたれがすごいため、ハンバーグもしんどそうだった。
そこで「玉子カレー」を注文した。
隣では、母親が「昔食べたのと同じだけど値段が昔の2倍近くになっている」と言って普通のカレー550円を即座にオーダーしていた。
サンドイッチやカレーセットもある
注文後、私は驚愕の事実に気づいた。
壁に、カレー以外のメニューが張り出されていたのである。
実は店の外にも、メニュー表が貼られていた。
そこに、サンドイッチ、なる記載がある。
さらに、カレーセットとして、カレー以外の様々なおかずが乗ったメニューもあった。
この場合、カレーはランプに入っており、すべてのおかずにカレーが付着せずに済む。
このいずれかに注文を変更した方が、子供にとって喜ばしいことなのではないか。
ということを母に相談したところ、まだ私の考えが固まっていない状況で先ほどの店員さんを次のように呼んだ。
「玉子カレーの取り消し、まだ間に合います?それに代えて別のものを注文します」
すると店員さんは困った様子で厨房の人に何かを質問したのち、
「キャンセル間に合いました。何にされますか」
と言った旨のことを、優しい笑顔で聞いてくれた。
しかし私にはまだ迷いがあった。
まずサンドイッチ。
カレー屋にきてカレーを食べないというのは何事か。
しかも、創業40年以上である老舗であって、その味を宇都宮外から通い詰めて食べたいほどの味である。
したがって、子供の好みと私の欲望とを天秤にかけた結果、私の欲望の方がやや強く、やはりカレーのメニューを外すことはできなかった。
サンドイッチは消えた。
次にカレーセット。
これは優秀であり、このBセットあたりにしようかな、と口に出そうとした瞬間だった。
隣の席のお客さんに、「ホタテカレー」が提供された。
そのボリュームは凄まじかった。
大盛りのご飯の上にカレールーがここぞとばかりにかかっており、豪快だった。
一方で、カレーセットは上品なサイズのおかずがたくさん乗っている感じだった。
上品さと豪快さ。
私は当時の昭和の頃を思い出した。
まだまともにご飯が食べられない人もいたことだろう。
その中で、豪快なご飯を食べることはどれほどの贅沢だったことか。
豪快なご飯を食べる喜びを噛み締めてこそ、この店に来た意味があるのではないか。
豪快さで行こう。
私は、「玉子カレーのままでお願いします」と、強い決意をした男のような低音ボイスで答えた。
店員さんは、優しい笑顔で快諾してくれた。
まさに飲めるほどに美味しいカレー
フォークとスプーンの形状が、当時のレトロ感を助長して、カレーに対する期待が高まる。
母及び妻の注文したカレーが提供された。
このボリューム。
母はまさに飲むような速度でこのカレーを食べた。
「当時の味と変わらない」とその喜びようは天を衝く勢いだった。
私の玉子カレーが提供された。
私はカレーが付着していない玉子、きゅうり、トマト、福神漬けを慎重に子供用の皿に取り分けた。
このとろとろの卵焼き。
飲めるほどにとろとろであり、まさに飲めるほどに美味しい。
そして愉快になった。
カレー、卵、カレー、たまご、の順で食べた。
優しい甘さが口に広がった。
子供が、自分のお弁当をまさに飲むような勢いで書き込み、卵やトマト、福神漬けも笑顔で食べた。
あまりの美味しさに踊り出した。
妻も美味しいと喜んだ。
私たちは「当時の味」を母から受け継いだ。
カレーが、親、子供、孫という三世代をつないだ。
まさに時空と空間を超えたカレーだった。
時折ソースやタバスコをかけると、さらに愉快になった。
カレーショップフジは今後も創業50年、60年と変わらぬ味を宇都宮市民に提供し続けるだろう。
そして、世代をつなぐ。
そんなことを思いながらオリオン通りを歩くと、気分が良くなり、自然と笑顔がこぼれた。
フジは本当に美味しい、というこの感動を母に伝えると、「グリル冨士」も美味しい、と返された。
ちょうど八百藤の前あたりだった。