電車の中で足を踏まれたことを話すきっかけにして出会い、恋愛となる
恋愛のきっかけとは何気ない通勤電車の中にも落ちているものである。
足を踏んだ相手の若い女性が笑顔で優しかった
先日、地下鉄に乗り込んで満席であることを確認すると、適当の車内の真ん中に進んでつり革に捕まった。
すると、数分後の駅にて、目の前の客が降りて席が空いた。
私は通勤電車内はふくらはぎのトレーニングの場だと考えているので、座ることになんら興味がないため、誰か他の客が目の前の空席に座ることを待ち望んだ。
しかし10秒以上経過しても誰も座ろうとしない。
そればかりか、私がここに立っていることで他の立ち客の邪魔になりそうな雰囲気すらあった。
せっかくの筋トレの時間が台無しになるけれど、仕方ないな、と思いながら、目の前の空席に座ろうとしたその時、電車が急に発信した。
その勢いが想定外であったため、うっかり体勢を崩してしまったところ、その空席の隣に座っていた若い女性の足をパンプスの上から踏んでしまった。
反射的に私は、「申し訳ありません!」と言いながらその女性に頭を下げた。
それほど強くは踏まなかったと思うのだが、相手にしてみたらかなりの痛みを伴ったかもしれないし、怪我をしたかもしれない。
したがって、治療に関しても考えなければならない。
加えて、お気に入りの靴を見知らぬ人間に踏まれたことの怒りは半端ではないだろうことがうかがえた。
せめてもの救いとしては、私がその日たまたまぺったんこな靴を履いており、いつものようにハイヒールを履いていなくて良かった、という点である。
ヒールで足を踏んでしまったらそれこそ骨にヒビが入っていた危険性もある。
しかし女性は軽く立ち上がると、「全然大丈夫ですよ」とニッコリ笑いながら私に言った。
私は罪悪感と安堵感が入り混じった複雑な気持ちになりながら、そのまま立っていた。
この女性はきっと痛かったのだろうけれど、我慢して笑みを浮かべて私に気を遣わせないようにしているのではないかと思う。
こういうときどのようにして謝ればいいのだろうか。
「本当は痛かったのですよね?もしそうであれば病院に行きましょう」などと持ちかけるのも変である。
というか「行きましょう」というあたりがヤバい。なんで見知らぬ男性といきなり病院に一緒に行かなければならないのだ、と思われるに違いない。
では、「病院を受診されてはいかがですか?」と、私抜きであなた一人で一度病院に行けというのも、どこか上目線で変態である。
もしもお金の心配をされているのであれば、「治療費は私が払いますから」と私の方から付け加えれば安心してくれるだろうか。
いや、いきなりお金の話をするのも野暮である。
そして、乗客がたくさんいる中でこうして頭を下げて「ごめんなさい!お金の工面はどうにかしますから!」みたいなことを言っていたら周りの注目を浴びて女性も困るだろう。
色々考えた。
どうすれば女性の真意を見抜けるのか。
しかしすぐに答えは出ない。
仕方がないので私は再度、「すみませんでした。。。」と言った。
その後私はこの場を後にして隣の車両に移動しようかと考えた。
足を踏んできた人間などむかつくので顔も見たくないだろうから、私はこの空席に座らず、女性の視界から消えるべきだと思ったのである。
しかしそうした場合、足の踏み損になる。
どういうことかというと、本来、私はこの空席に座るつもりはなく、したがってずっとつり革に捕まっていたはずだから、体勢を崩して女性の足を踏むことはなかった。
女性も足を踏まれずに済んだはず。
しかし私がこの空席に座るという意思表示を見せたことによって、足を踏むことになってしまった。
つまり、私が空席に座るという結果を享受するために発生した犠牲が足踏みであり、足踏みという犠牲を乗り越えてようやく私の着席が成し遂げられるのであり、足踏みは私の着座のためには意味のあることだったとも考えられる。
しかし足踏みという犠牲を出しておきながらやっぱり空席に座らなかったとしたら、なんのために足踏みをしてしまったのか全く意味がなくなることになり、単なる踏み損、踏まれ損である。
私がこの空席に着座することで、この踏み損、踏まれ損というマイナス要素が成仏させられるのではないか。
そう考えた私は、やっぱりこの若い女性の隣に座ることにした。
女性はなんら痛みを感じていないかのように自然な態度でスマホをいじっていた。
黒いスーツを着ており、新入社員か、あるいは就職活動中の女子大生かもしれない。
私は頭の中で、「本当に痛くなかったのだろうか。本当に痛くなかったのだろうか。こんな若い子に痛い思いをさせてしまったら本当に申し訳ないし老害だ。ガクガクガクガク」とビクビクしていた。
そのビクビクした震えを隠すために、私は平静を装って文庫本を開いて読むふりをした。
そして私の次の駅が私の降車予定駅になるというとき、私はそっと文庫本を閉じて降りる準備をした。
駅に到着したら、私は再び女性に陳謝するつもりでいた。
降車駅で電車が停まると、私は立ち上がって女性に頭を下げて「すみませんでした」と告げた。
女性はそれをまるで予想していたかのように、私が立ち上がるタイミングと同時にスマホをカバンにしまい、私が立ち上がるのとほぼ同じタイミングで立ち上がり、私の陳謝に対して笑顔で「大丈夫ですよ」と答えた。
そして私は降りる。
女性は再び同じ席に座る。
電車は女性を乗せて去っていった。
おそらくあの様子だと、本当にそれほど痛くはなかったのだろうなと安心した。
しかし靴を踏まれて汚されたことには変わりないので、多少イラついていてもいいはずである。
しかしあの可愛らしい笑顔での対応。
これはもしや、ワンチャンあったんじゃないかと私に思わせるには充分であった。
足を踏んだことをステルスナンパのきっかけにする
私はナンパとか全然興味がないので知らないんだけど、ナンパに置いて恋愛に到達させるまでの最も着実な方法は、ステルスナンパ、すなわち間接法であると認識している。
ストナンみたいな直接法はオープナーの時点で多大な訓練がいるので難易度が高い。
バーナンパやクラブナンパはそれよりはオープナーの時点での難易度は下がるもののライバルが多すぎて恋愛に発展させるにはレッドオーシャンすぎる。
しかしながら、ステルスナンパ、シチュエーションナンパのような間接法は、はっきり言って普通に人と世間話ができるようなコミュニケーション能力さえあれば誰でもできる。
しかもあらゆるシチュエーションを味方につけることができるから、人生の全てがキラキラと前向きになるという多大な効果があり、ぜひ男性はいつでもナンパするくらいの勢いで刻々と流れる日々の何気ない時間に意味を持たせる努力をした方がいいに決まっている。
で、私の上記シチュエーションにおいて、私は降車するとき確実に若い女性との行動が一致していた。
私は謝るつもりでいたし、相手は私がきっと謝る仕草をするであろうことを予測してその準備をしていた。
確実に両者の間にシンパシーの感情が降りていたわけである。
これはどのようにして起こり得たか。
まず私は女性の足を踏んだ。
このこと自体は全く褒められることではなく、マイナス要素である。
しかし私は足を踏んだと認識した瞬間から、どうすれば女性の肉体的、精神的な傷を回復できるかに集中した。
相手への思いやりである。
その思いやりの感情は凄まじく、私の女性に対する真剣な想いが女性の心にグサグサと刺さっていたに違いなく、そこで私と女性との間にふんわりとした共感が産まれた。
ここでオープナーを仕掛ければ確実に成功していたことは想像に難くない。
というか、降りるときにあれだけ互いの動作が共鳴していたのならば、もしかしたら女性は話しかけられるのを期待していたのではないかと思わずにはいられないくらいである。
私が隣で座っている間必死でスマホを弄っていたのは、「ちょーかっこいい人が隣に座ったんだけど、マジで話しかけて欲しい」とか友達にラインあるいはツイッターにでも投稿していたんじゃないかと考えてしまうほどに、もうお互いの固有周波数は一致してビンビン共振しまくっていたんじゃないかというレベルである。
さらに素晴らしいことには、私は人を外見で判断することは一切しない人間なので顔がいいとか悪いとかは全然興味がないのだが、そん新入社員のような女性の顔面偏差値は上級クラスであり、笑顔時の戦闘力及び溢れ出る優しさは、スト高に到達しているレベルと言っても過言ではない。
さらに言えば、私は就職活動の激戦をくぐり抜けたエリートサラリーマンとして社会で活躍してきたような気がするので、仮に女性が就活中の大学生であったとしても、新入社員であったとしても、今女性がどんなことに興味があるのかが手に取るようにわかっているわけで、その黒いリクルートスーツのようないでたちから想定されるオープナーで世間話を開始すれば、なかなか楽しい時間が過ごせたに違いない。
しかも、本来は私の降車駅の方が女性よりも先に来るのだが、素知らぬ顔をしてそのまま電車に乗り続けて女性と会話を楽しみ、女性が「ここで降ります」とか言ったときに「偶然だね。僕もここなんだ」とか言って「偶然の共通性」を導き出してやることによって違いの距離を縮めてしまえば、ライン等の連絡先をゲットすることなどたわいもないことである。
電車の中でステルスナンパすることのデメリットとリスク
それにしても、電車内というのは冤罪リスクもあるし、やはり気軽にナンパを仕掛けるのは良くないと思うのだが、それでもやはりステルスナンパがすごいのは、全くその内容がナンパ目的とは思われない、あくまでも世間話をしているかのように装うことができる点であり、電車の中で世間話をするのに適切なタイミングでありさえすれば、とことん仕掛けることができる点にメリットがある。
退屈な車内を楽しくできる上に、ナンパ目的と悟られなければほぼノーリスクであることから、デメリットがほとんどなくてメリットしかない。
やっぱり欧米みたいに、電車内で気軽に世間話(=ステルスナンパ)をしかけまくるに限る。
ステルスナンパこそが、ギスギスした日本社会を明るくする鍵であるとすらいえる。
というか、ついさっきまで「女性に怪我がないだろうか」とか「治療のために多大なる時間とかお金とかを使わせてしまったらどうしようか」とかビクビクと不安に思っていたくせに、喉元過ぎれば熱さを忘れるというか、安心すると今度は何か欲望めいたことを考え始める点、やはり男性というのは本当にバカな生き物であることが再認識させられて憂鬱です。