「公園で遊ぶな。他へ行け」と近所から注意・苦情を言われた際の対応
公園内で幼稚園児の息子と遊んでいたところ、帽子を目深にかぶって素顔を隠した見知らぬおばさんがにじり寄ってきて、「この公園で遊ばないでください」との注意・文句を面と向かって受けたという由々しき事態が発生した。
この理不尽なクレームに対する紳士的かつ効果的な対処法について、真剣に考えてみたい。
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公園で遊んではいけない理由はうるさいからである
まず、上記のようなクレームは私が受けたわけではなく、同じ敷地内に住む知り合いが受けたものである。
しかも、その知り合いから直接聞いたわけではなく、その知り合いの知り合いを介して聞いたというわけで、2ホップのネットワークを介して伝達された情報であるため、信憑性に疑わしい部分があるかもしれない。
普通に公園で息子と遊んでいたら、オバさんが親にも子供にも直接「ここで遊ばないでください」と苦情を言ってきたという。
あまりにもおかしい話であるため、信じられない話かもしれない。
なぜなら、公園は子供が遊ぶ場所であって、「この公園で遊んではいけない」という理由の根拠がどこにもないからである。
しかしながら、我々の敷地内の過去の経緯を辿ると、このおばさんがなぜこのように言ってきたのかが理解できた。
マンション(団地)で子供や赤ちゃんの騒音への苦情に対する対処法で書いたように、直近1年間くらいの間、毎月のように「敷地内で遊んではならない。うるさいから」という苦情が匿名で入っているとの回覧がなされていた。
匿名であるため、どこの誰がこのようなクレームをつけてくるのかは誰も知らなかった。
おそらく敷地内に住んでいる独身のおじさんではないか、と推察していたが、それは推測の域を出ない。
しかしはっきりとわかることは、このクレーマーは騒音に対して敏感であるということである。
そして子供達の遊ぶ物音や声がこのクレーマーを刺激して憤慨させているということであった。
なお、このクレームは我々の敷地内だけで閉じているわけではない。
敷地内の公園には、住民だけでなく、近所の小学生たちも集まってくる。
遊具は古くてボロくなってきてしまったものの、子供達の憩いの場となるような素晴らしい場所であった。
しかしクレーマーはこの騒音をなくすために、一生懸命その小学校にも「この公園で遊ばせるな」との苦情を入れまくっているという。
もうそれほどに騒音が苦手。
いや、これは騒音が嫌いという単純な話ではない。
小さい子供といえば、うるさくて当然である。
駆け回って笑い声をあげるのが好奇心旺盛で元気のある子供達のサガである。
ということは、それを理解せずに子供達の公園遊びを禁止するということはつまり、騒音ではなく子供が嫌い、ということを意味しているわけであり、これは非常に危機的状況である。
私は廃墟のような団地に住んでおり、その公園も団地の敷地内にある。
団地といえば子育てをするのにうってつけの環境である。
したがって、団地に住んでいる人は皆、子供の立てる物音にはある程度理解をしているべきである。
しかしこのクレーマーは違う。
もうとにかく子供が嫌。
ならば団地から引っ越して子供のいないマンションにでも引っ越せばいいようなものだが、そうしない。
あくまでも団地に住み続ける。そして子供達を駆逐する。
こうなるともはや、平和な世の中をぶち壊しにきた破壊者であると言わざるを得ない。
そして、我々団地の住民にとって大きな問題となるのが、破壊者と同じエリアに住んでいるということである。
その破壊者が何号室の誰か、ということが謎であるため、毎日すれ違う人がいつもニコニコしながらも実は破壊者であるという可能性を否定できないわけである。
人間不信になりかねない。
しかしその破壊者の正体の一端が見えた。
このおばさんイコール、今までクレームをつけ続けていた例の人物であると推察できる。
おじさんあるいは偏屈なおじいさんかと推察されていたが、実はおばさんだった。
しかし帽子を目深にかぶっていたということから、素顔までは見えなく、何号室の住民かも不明であるため、破壊者の全容は依然として不明である。
公園遊びを諦める必要はない
さて、このように正体不明な人間から公園遊びを注意された、という噂を聞いたことによって、我々は恐怖を感じた。
今後も公園で遊んでいたらきっとまた注意してくるだろう。
そして、公園遊びをやめなければ、おばさんは怒りを蓄積させて、暴力に訴えてくるかもしれない。
本来子育てのために作られた団地内の公園で子供が遊ぶことを否定するという、あまりにも異常な思想の持ち主であるから、言うことを聞かないと包丁で刺される可能性も否定できない。
しかし、だからと言って屈する必要はない。
子供達の公園で遊びたい欲求はものすごく、それをやめさせることには強い抵抗を感じる。
そして、子供達の成長のためには、公園で遊ぶことは必要であると考えられる。
加えて、子供達がいなくなって寂れゆくだけの公園は物悲しいものである。
何も危険なボール遊びを公園内でするとか言う話ではなく、備え付けの滑り台やブランコ、鉄棒で遊びたいというごく普通のことをやるだけでいい。
それを否定されたら子供達はどこで遊べばいいのか。車の往来が激しい道路で遊べとでも言うのか。
たった一人の理不尽なクレーマーに屈して、あらゆる子供達及び社会の可能性の芽を摘み取ることは断じて許されないと考える。
では、今後我々がこのオバハンクレーマーの意見に逆らって公園で遊んでいる最中に、再びおばはんがにじり寄ってきて「この公園で遊ばないでください」と苦情を言ってきた場合の対処法について、具体例を提案したい。
おばさんの主張を否定する
これに対し、例えばこのように反論する。
しかし人は誰だって反論されたらムカつくものである。
しかも、おばさんは考え方が異常であり、しかも硬直している。
考え方を改めるような反省心など微塵もないものと感じられる。
したがって、おばさんの意見をいきなり否定するのはおすすめできない。
おばさんの主張の根拠について質問する
これに対し、こう質問で返す。
これは頭から相手の主張を否定するよりも上手な返し方である。
まず、相手の主張をもう一度冒頭で反芻しているあたりが素晴らしい。
そして「なるほど」と相手の主張を受け入れたことを示すワードを入れる。
これによって、一度は相手に対して共感(シンパシー)の意思表示をしたことになり、おばさんも「この人は理解のある人だわあ」との考えを持つはずである。
また、最後の「幸いに存じます」と言う締めの言葉も礼儀正しくて素晴らしい。
しかしやはりこの質問に正常に回答してもらうのは難しい。
一応、相手に対して一度シンパシーの意思表示をしたとしても、質問の中身は明らかにおばさんの主張を根底から否定しているものであり、やはり否定のニュアンスが入った時点でおばさんの怒りを買うだけである。
怒りを買うことによって子供に与えられる危害を考えると、これは避けなければならない。
おばさんを無視する
おばさんの存在を完全に無視し続ける。
おばさんが変な思想の持ち主なら、もう関わり合いにならないほうがいい。
別の世界に住んでいるおばさんは我々の人生に関係ないと割り切って、一切関係を持つことを断つと言う断固とした姿勢である。
しかしこっちが無視してもおばさんは我々の存在を苦々しく思っているから、依然として我々に対する攻撃をやめないだろう。
しかも無視されたことによってさらに怒りを増幅させてくる危険性も高い。
やはり無視はダメだ。
しっかりおばさんに向き合って対処し、おばさんにその主張を取り下げてもらわなければならない。
おばさんをキスで黙らせる
クレーマーと思しきおばさんが近づいてくるのを視界に捉えた瞬間から、キスのチャンスをうかがい、おばさんが口を開いたところに唇をそっと押し付ける。
これによっておばさんの口の動きを封じ、主張を展開させない。
しかしこれはダメだ。
子供が見ている。
幼稚園・保育園等の未就学児は特に、親の仕草を真似したがる。
したがって、「僕も!私も!」などと言って嬉しそうに子供達もおばさんに口づけをし始めるだろう。
それの何が問題か。
虫歯菌がうつるという懸念である。
取るに足らない主張を展開するおばさんごときのために、子供達の健康を損なう必要はない。
やはりキスはダメだ。
ディープキスも言わずもがなである。
おばさんをそっと抱きしめる
キスがダメなら、そっと抱きしめてあげよう。
おばさんを攻略するためには、やはり若いパパからの愛情表現が効果的であるかもしれない。
これによっておばさんは、若かりし頃、公園で愛を育んだ青春時代を思い出し、「やはり公園は人と人とが憩うための場所ね」と考えを改めて去っていくだろう。
しかし効果は一時的なものである。
見知らぬ男性からのアプローチなど一過性の虚像のようなもの。
その虚像が剥がれたらまた現実に戻されたおばさんは怒りを募らせてクレームを続けるだろう。
おばさんとラブホテルで大人の遊びをする
「この公園で遊ばないで」という主張に対して、こちらから代案を提案をすると言う手段である。
まず、「この公園で遊ばないで」が何を意味しているか。
それは「遊び」全般を全て否定しているわけではないという点に注目しなければならない。
あくまでも、「公園で」遊んではならないだけである。
ならば、どこでなら遊んで構わないのか、ということについて、おばさんはどう考えているのかを問いたださなければならない。
しかし、「じゃあどこならいいのですか」と言う抽象的な質問ではダメだ。
おばさんは我々のアプローチを待っている。
我々から具体案をいきなり提示したほうが話が早い。
そして、子供達ばかりが楽しく遊んでいるのに大人たちが遊びを忘れてしまっている、という社会に対しておばさんは嘆いているのかもしれないという思いまで汲み取ってあげれば満点だ。
したがって、大人の遊びをしたがっているおばさんをこちらから誘うことにより、おばさんをこちら側の世界に引きずりこむことが可能。
しかしやっぱりダメなのは、近くに良いラブホなど実はない。
したがって、「何よあなた。ラブホが近くにあるって言ってたのに、嘘じゃない」とおばさんの反感を買って、ますます不利な状況に追い込まれる。
バカのふりをしてキモいと思わせる
話しかけられた瞬間、意味不明な言動を連呼しつつタコ踊りをしながらおばさんに迫る。
親子で遊んでいる家族であれば素直でまともそうな人たちだろう、というパターン化された安心感がおばさんの頭の中にあるから、気軽に話しかけてくるわけで、そもそも規格外のキモい人間を演出していれば、気軽に話しかけられることはなくなるだろう。
しかし、一度こういうアホなキャラを演出した場合、そのキャラを今後も演出し続ける必要が生じる。
なぜならおばさんは同じ敷地内に住んでいるので、何度も出くわす可能性があるから。
そして後になってやはりまともな人間だということがおばさんにバレてしまったら、逆上してどんな仕打ちをされるか分からない。
管理人や警察に通報する
やはり自助努力じゃどうにもならないなら管理人や警察に通報しておくべきなのではないか、と思うのだが、どうもまともに掛け合ってくれる気配がなかったりする。
おばさんの生い立ちを聞く
そもそもおばさんが子供の公園遊びを否定するような理不尽なことを言ってくるからには、理不尽な事件におばさんも苦しんだ過去があるから、ということに想像力を働かせたい。
なぜおばさんがそのような曲がった考えを持つようになってしまったのか。
そしてどのようにしておばさんはそれに耐えているのか。
きっとおばさんは孤独に耐えたのだと思う。
誰も寄り添ってくれなかったかもしれない。
そこで、おばさんに寄り添ってあげることで、まずはおばさんを理解してあげたい。
おばさんもきっと誰かにその苦しみを相談したいからこそ、他人に対してちょっかいを出したりするのだろう。
しっかりおばさんに向き合うことで、子供達が公園で遊べる環境をおばさんに理解してもらおう。
ところで、おばさんの長い人生にしっかり耳を傾けるには、それなりの時間が必要である。
しかしそうやっておばさんとの会話に夢中になってしまうと、子供が飽きてわがままを言い出し始めるかもしれない。
やはりこの策もダメだ。
筋肉を鍛える
もはや話しかけるのも怖いくらいの筋肉の塊にあなたがなれば良い。
筋肉を鍛えている人に誰も逆らおうとは思わない。怖いから。
恐れられて崇めたてまつられるような筋肉の持ち主になればあなたの勝ちだし、筋肉を鍛えることは健康にもつながるのだから、やはり筋トレをすることが最強ではないかと思う。
結論としては、普段から筋トレをすることが最善の策だと考えられる。