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カブトムシを獲って1日で弱って死んでしまって子供とお墓に埋めた話

   

カブトムシを獲って1日で弱って死んでしまって子供とお墓に埋めた話

(上の写真は元気にバナナを食べていた頃のカブトムシメス)

長男が4歳になり、昆虫、というか虫に興味が出てきたようだ。

とりわけ毎年頻繁に見かけるカマキリやバッタが好きなようであるが、未だ実物を見たことのないカブトムシやクワガタムシにも興味を示しているようである。

そして近所の3歳のお友達が虫取り網などを持って公園に遊びに行く姿をよく見かけるようになった。

そこで、今年の夏は息子と一緒に虫取りを体験しようと思った。

目標は、カブトムシかクワガタのいずれかを一匹は捕まえることである。

予め100円ショップで虫取り網と虫かごを購入しておいたので、準備は万端である。

虫を飼う経験をさせてみるために1日だけカブトムシを飼ってみる

そんな折、平日夕方に私が仕事から帰ってきてマンションの階段を登ろうとすると、コンクリートの上に仰向けになっている昆虫がいた。

明らかにカブトムシのメスである。

そして偶然にも妻と息子と娘がちょうど外出先から帰ってくるところだった。

まさかこんなコンクリートの上にカブトムシがいるなどということはあり得ないので、私がじっとしゃがんでその仰向けのカブトムシを眺めていると、息子も興味深そうに覗き込んできた。

「これはカブトムシだ」

私は言った。

初めて見るカブトムシに、息子はキョトンとした様子だった。

カブトムシなのにツノが生えていないのはなぜだろうとか、カナブンと同じ姿なのに予想外に大きいとか、そんなことを考えていたのだろうか。

「やったーカブトムシだ」とおお喜びするかと予想していたのだが、息子は笑顔にもならず、またはしゃぐ様子もなく、真顔でキョトンとしてカブトムシを見ている。

そこで私は、「逃すか、あるいはこのまま捕まえて虫かごに入れて飼ってみるか、どっちにする?」と提案した。

あまり乗り気でなさそうな息子の様子から、「逃す」という言葉がくるのを期待していた。

昔は私もカブクワを買って家で飼育していたが、いまはもう虫を触りたくないのである。

臭いし、コバエも湧くし、命を買うというのは面倒臭いし、家の中でカブトムシがカゴから出て逃げ回ったりしたら大変である。

だから、恐る恐るな表情をしている息子の口から「逃す」という言葉を言わせようと思った。

ところが、「持って帰る」と息子はいった。

困った私は、「でも命を飼うのは大変だよ。ちゃんと世話できるのか?」とその提案を否定するようなことを言った。

「じゃあ逃す」と息子は残念そうに言った。随分あっさりしている。

しかし虫を飼うというのも経験の1つだ。

1日くらいならいいのかもしれない、と私は考えた。

「でも1日だけなら飼っても良い。とりあえず持って帰って虫かごに入れて観察して、あしたの朝に逃がそうか」と私は提案した。

すると、淡々とした表情で「そうする」と言った。

嬉しいのか興味がないのかぜんぜんわからない。

最後に私は念を押す。

「別に興味がないならこのまま逃がしてあげてもいいよ。どっちにしようか」

息子は「持って帰りたい」と淡々と答える。

したがって、虫の勉強も兼ねて、捕まえて帰ることにした。

すごく元気なカブトムシのメスである。

捕まえようとして一旦ツンツンとつつくと、すぐに近くの草に掴まって起き上がり、すごい速度で歩いて行こうとした。

そこを私は横からつまむような形で恐る恐る捕まえた。

昔は怖くなかったのに、今はなんか気持ち悪い。

しかも絶対足に皮膚を捕まられたら痛い。

だから親指と人差し指で、足にひっかかれないようないちでカブトムシをつまんだ。そして家に持ち帰ってカゴに入れた。

「そうだ。あした児童館に持っていって、先生に見せてみようか」

そう言うと、息子は少し嬉しそうに「そうする」と言った。

カブトムシは上を向いたままだと体力がなくなって弱る

本当は飼育セットとかも100均で買ってきた方が良いのだろうけど、まあ明日の午前中には逃すだろうし、適当なものでいいやと思って新聞紙をねじって水でちょっと濡らしてスイカとバナナをあげてみた。

スイカは水分が多すぎて下痢をするからよくないとかどうとか言われるのでやや心配ではあったが。

そういえば私が子供の時は、友達はよくスイカとかあげていたけど私はホームセンターで買ってきたカブクワ専用の蜜を登り木だか木材だかに穴が空いたやつに入れておいただけだった。

餌台という奴か。

まあそんな感じで虫かごに入れておいたのだが、どうも子供はカブトムシに興味がない様子である。

せっかく捕まえてきたのにどういうことだろう。

というか世話とか大変だから、興味がないのならばこのまま逃がしたいんだが。

というわけで、私は「もう逃がしてこようか」と提案した。

しかし子供は「逃さない」と主張して、急に興味津々に虫かごを眺めるようになる。

ところがそれも5分と続かず、別のおもちゃで遊んでしまう。

カブトムシメスに興味ないんじゃん、と心の中で思う。

体力が衰弱して死なせてしまうとか絶対に嫌だなあ。

てか、私は別に捕まえてきたくなかったのに、なんで一番私がカブトムシの体調の心配をしなければならないの。

そんなわけで息子も妻も全然カブトムシに興味なさそうだったので、私がなんとか面倒を見なければならない。

そんな不安な心理でいると、夜もなかなか眠れないもので、深夜に起きて虫かごをおいてある比較的涼しい玄関に立ち寄って虫かごをのぞいてみると、なんと上を向いて仰向け状態で動かなくなってるではないか。

虫かごをトントンと叩くと、やや足が動くも、弱々しい。

寝ているだけなのだろうか。

いや、カブトムシは夜行性だから夜の方がむしろ活発になるはず。

そう思って虫かごに手を入れて起こすも、動きが弱い。

まじか。仰向けでもがいているうちに体力を使い果たしたか。

慌ててバナナのところに口を持って言ってなめさせる。

すると30分くらいもすると、元気を取り戻したようである。

その後朝まで私はよく眠れなかったのだが、朝5時くらいに仕事のために出勤する時は昨日のように元気にスイカを吸ったり歩き回ったりしていた。

職場に着くと、絶対に仰向けにさせないことと適当に水分を与えることとストレスをあまり与えないようにすることとちゃんと先生に見せたら逃がすことを妻にラインをしておいた。

森の大きい樹の下に墓を作る

その日の夕方、ちゃんとカブトムシを逃がしてきたかなと考えながら帰宅すると、マンションの入り口のコンクリートのところ、つまりカブトムシを捕まえた場所と同じところに、カブトムシメスらしきものがいる。

うつ伏せ状態ではあるが、動きがもう死ぬ直前というくらいに遅い。

しかも2匹くらいのアリがカブトムシの体を駆け回っている。

これ、うちで飼っていたカブトムシじゃなかろうか。

急いで階段を上がって家に入り、妻に確認すると、「捕まえた場所と同じところに逃がしたよ」と平然と言う。

私は唖然とした。

逃がす、とは、息絶え絶えの健康状態の虫を、わざわざ炎天下のコンクリートの上に放置することじゃないんだけど。

格好のアリの餌になるだけじゃん。

しかも、なんでこんなに衰弱してるの。まともに面倒見てなかったんじゃないか。虫かごだって雑に扱っていてストレスを与えていたんじゃないか。

私はもう妻子を叱りつけて、もう一度カブトムシを捕まえてきて、再度餌を与えて水気を与えて、どうにかカブトムシの体調が回復するよう願った。

まだことの重大さがよくわかってない子供は、平然とおもちゃで遊んでいる。

私は、もしも昨日逃がして入れば元気に森に帰って樹液を吸ったりオスと後尾できたりして後世に子孫を残すことができたであろうこのカブトムシメスのことを考えていたら、号泣してしまった。

私がちゃんと逃がして入れば、こんな未来にはならなかった。

私のせいで大切な命を奪ってしまった。

私は何度もうずくまりながら「ごめんよ。捕まえてしまってごめんよ」と虫かごの前で泣き叫んだ。

しかしまだ微かに動いている。

なるべくじっとさせて霧吹きで水気を与えて、口をバナナにつけさせて、回復を待つしかない。

というか、別に私が捕まえたいわけじゃなかったのに、なんで私がこんなに労力をかけなきゃいかんの。

息子が捕まえたいと言ったんじゃないか。

しかも息子は、この命が失われて行くかもしれないことになんの罪悪感も感じていないようだった。

私は息子に問うた。

「このカブトムシが死ぬかもしれない。なんとも思わないのか」

すると息子は、泣きそうな、困ったような顔で、うん、と首を縦に降った。

私はショックを受けた。

まじかよ。私は声を荒げて色々叱りつけたと思う。主に命の大切さについて。

どうしてことの重大さがわからないのかよく聞いてみると、言葉足らずな表現で「僕がカブトムシを持ったから」とか言った。

つまり、他のおもちゃと同様、自分に所有権があるのだから自分がカブトムシをどうしようが勝手である、と言うような理論である。

まだ4歳だと命の大切さとかそういうのがわからないのだろうか。

私は息子に思い切り言いつけた。

絶対にこのカブトムシを絶対に死なすな。これからお前は30分おきにカブトムシの様子を見に行って、都度このカブトムシの体調の心配をしてこい。と。

しかしカブトムシはその日の夜8時に完全に動かなくなっていた。

私はカブトムシを無駄に死なせてしまったのだろうか。

いや、この死を無駄にさせてはいけない。息子に命の大切さをここで教育するしかない。

私は息子にこう言った。

「昨日まで元気だった命がたった1日で失われた。もしも大切に育てて入ればまだ元気だったし、そもそも捕まえていなければ森で元気に動き回っていたはずだ。それを、我々が無責任にも無理やり連れ帰って死なせてしまったのだ」

あとはもう私は号泣していたし頭がパニックだったので何を言ったのか覚えていないが、「このカブトムシの死を絶対に忘れるな」とか「命を飼うことには重大な責任がつきまとう」とか「自分がカブトムシと同じ立場だったら、自由を奪われたらどう思うか」とか、「自分が嫌だと思うことを虫や動物にもしてはいけないし友達にもしてはいけない」とか、よくわからないけどとにかく他の動植物の命を大切にしろと言うことを長々と演説した。

そして、「明日の朝、近くの森の特段大きい樹の下の地面を掘ってこのカブトムシとバナナを一緒に埋めてお墓を作ってあげて、手を合わせて目を瞑って、カブトムシに謝るんだ。謝ると同時に、命のことを勉強させてくれたお礼を言うんだ」と伝えた。

次の日、4歳の息子は最近覚え始めたひらがなで「かぶとむしのおはか」と書いて近所の樹の下にお墓を作った。

そして手を合わせて目を瞑って、カブトムシさんごめんなさい。ありがとう。と言っていた。

私はまた泣きそうだった。

まだ息子が命の大切さを理解しているのか知らないが、色々と学ばせてくれたカブトムシには感謝したい。

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