突発性難聴の原因と耳鳴りで低音が聞こえない症状、完治までの治し方
2017/05/22
朝起きると突然左側の片方の耳だけが聞き取りにくくなっていたことがある。
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突発性難聴になると、発症から2週間以内に治療を開始しないと後遺症が残る
朝起きたら、突然、左の耳だけが何かこもるようになっていた。
わかりやすく言うと、プールで水が耳の中に入って、物音が聞こえにくくなったような感じであった。
そこで、昨日プールに入ったかどうかを考えた。
しかしながら、前日はプールに入っていなかった。
というか、5月のゴールデンウィークの連休中であり、プールに入ろうという発想が起こらないほど涼しい時期であった。
お風呂で水を耳に入れてしまったかなとも考えたが、特にそういう記憶もない。
とにかく、音がこもっている。
まあ、耳に水が入った時と同様、音がこもって気持ち悪い感じはあるものの、完全に聞こえないわけではないし、耳の痛みや頭痛などを感じているわけでもないから、生活に全く支障がなかった。
したがって、そのうち自然に治るだろうと思って普通に生活していた。
ところが、次の日もその次の日も全く治らない。
これは何か対処法を考えないとまずいのではないかと思った。
そこで、インターネットで同じような症状に出くわした人がいないかどうかを調べると、出るわ出るわ。
もう明らかにこれ「突発性難聴」あるいは「メニエール病(メニエル病?)」と言うやつに違いない。
両者の違いはよくわからないものの、メニエール病だと20歳代や30歳代の若い女性がかかりやすい病気であって、しかもめまいなどを伴う、などという記載が散見された。
それよりは少し症状が軽そうなものが「突発性難聴」であった。
そして非常に深刻なのが、「この突発性難聴にかかった場合、発症から2週間以内に治療を開始しないと、後遺症が残って一生聴力が回復しない」と言った旨の記載がどのサイトでも散見されたことである。
しまった。すでに発症から3日も経っている。
何をうかうかしていたのだ自分。すぐに病院に行けばよかったのに。
とはいえ、いま連休中だから病院が開いてないとのもまたれっきとした事実であり、そのことを持って、自分が病院に行かなかったことを「仕方がなかったことである」と言い訳をした。
誰に言い訳をしているのかは知らないが、そうすることで必要以上に自分の不甲斐なさからくる悔しさを緩和させたのである。
とりあえず祝日が終わって最初の平日に診療所の耳鼻科を受診することにした。
低音域が聞こえなくなる耳鳴りが鳴り止まない
そして、次のような記述も見つけた。
すなわち、低音域あるいは高音域が聞こえなくなるように耳鳴りがずっとしている、というものである。
音がくぐもっていることだけに気を取られており、耳鳴りについては意識しなかった。
そこで静かな部屋に行ってみると、確かに、低音の耳鳴りが延々と続いているのであった。
さらに、イヤホンでお気に入りの音楽を聴いてみる。
すると、確かに、音全体が聞き取りにくくなっていることに加え、低音部分、すなわちベースラインが全く聞こえていないのだった。
これには愕然とした。
これを放置していたら一生このベースの音が聞こえなくなり、耳鳴りと一生付き合って暮らして行かなければならないのである。
意識すればするほど気が狂いそうであり、早く診療所が開く次の平日が来ないかと待ち遠しくなった。
大きなストレスと神経系の損傷が原因かもしれない
診療所に行くなり、すぐに自分の症状を説明した。
また、上記のようにネットで仕入れた症状と自分の症状が酷似しており、おそらく突発性難聴ではないかということも伝えた。
すると、医者は私の手を握りはじめた。
いきなりエッチなことをされるのかと思ったが、そうではなく、単に左手に感覚はあるのかどうかを調べているのだった。
難聴は神経が関わっていることであり、それと接続している神経系にもなんらかの影響があることが多いのだそうだ。
そういえば、私は以前より左半身だけ腰のコリや肩こりを感じやすく、特に肩甲骨周りはいつも凝っているような気がしていた。
また、左の目だけやたら疲れやすくて若干視力も悪いし、左だけ偏頭痛を起こしやすかった。
加えて、左の手で髪の毛を触り続ける癖があり、これが左半身の筋肉や神経系の偏りを起こしているのではないかとも考えた。
それらの付随情報も追加で私は医者に伝えた。
しかし医者はそれには取り合わず、こう答えた。
「難聴の原因ははっきりとはしていないんですよ」
西洋医学が高度に発達した現代において、まだ難聴のような割と多くの人がかかる病気の原因が明確にわかっていないとは、人体とは恐ろしいものである。
「しかし統計的にはっきりと言えることは、難聴になる人の多くが真面目であり、責任感が強い。そして急な難聴の場合、突然重い仕事を任されるようになったパターンが多い。あなたもそうでしょう?」
さすがお医者さんである。
私ほど真面目な人はおらず、責任感が強い上に、仕事が出来すぎて重い仕事をたくさん抱えている人もいませんよ、と私は思いながら、「はい。その通りです」と答えた。
するとお医者さんはこう言った。
「と言うことはつまり、あなたはちょっと不真面目になった方がいいです。そして今後治るまではストレスを感じないでください。具体的には、寝ている以外何もしないでください。一応末梢神経系を回復させるメチコバールという錠剤を出しておくので継続して飲んでもらいますが、とにかく重要な治療方法は、テキトーな気分になった上で、何もしないことです」
そこで、次の日からその医者の言うとおりにした。
なお、医者は一言も「突発性難聴」と言う用語を使わなかった。
「感音性難聴」とか言うワードは言っていたような気はするものの、「突発性」と言う言葉を使わなかったのは、医学用語ではないからなのだろうか。真相は知らない。
リラックスして寝ているだけでもストレスを感じる
さて、医者に言われたように、その日から早速仕事を休んで家で寝ていた。
さらに、ストレスを感じないように、リラックスできる音楽をイヤホンで聴くことにした。
しかし、低音が聞こえないことで不安感が増長され、ますますストレスを感じるので、それをやめた。
また、耳に負担をかけるようなイヤホンでの音楽鑑賞はよくないとも思った。
しかし寝ているだけだと暇である。
医者からは、パソコンや携帯電話やテレビなどはなるべく見ないように、と注意をされていた。
あれは視神経にストレスをかけるし、何よりリラックスできない、ということだった。
また、本を読むこともなるべく避けた方がいい、ということだった。
したがって私ができることは、横になって寝ているだけである。
それだけだととても暇なので、何かを考えることにした。
最初に考えたことは、エロいことである。
エロは暇つぶしになる。
ところが、そうしていると気持ちが高ぶって覚醒してしまい、リラックスできないのですぐにやめた。
エロを打ち消す際によく考えるのは、ゴリラである。
ゴリラはエロ防止に効果的である。
私はゴリラのことを考えた。
ところが、ゴリラはゴリラで、私に向かってウンコを投げつけてきてすごくムカついてしまい、怒りの感情が込み上げてリラックスできなかった。
したがって、ゴリラを考えるのもやめた。
もっと感情の高ぶりを抑えるようなことを考えようとした。
そこで、深遠な宇宙のことを考えた。
この広い宇宙の中で奇跡的に地球が生まれ、その中に私がいる。
この不思議な現象は一体なんなのだろうか。そしてそのように偶然奇跡的に生まれた私は今思考をしている。
ここで私は「奇跡」とか「偶然」とかいう言葉を使った。
これは本当なのだろうか。全ては神によって全てプログラムされていた「必然」ではなかったのか。
つまり私が今宇宙のことについて考えているのも、私の自由意志ではなく、すでに誰かによって決められたプログラムをそのままなぞっているだけに過ぎない。
この時点で難聴になったことだって例外ではない。
私はなんのために生きているのか。
私の存在意義はなんなのだろうか。
そんなことを考えていたらとりとめもなくなってしまい、ますますストレスを感じるので、宇宙について考えるのもやめた。
そして、全てを考えるのをやめた。
完全なる「虚無」である。
あるいは、「無我の境地」である。
しかし、私の頭の中に「虚無」とか「無我の境地」という文字が飛び交ったりそれらの漢字の書き順なんかを考えたりしてリラックスできないし、何か虚無を代表するようなヨガの師範のような人が私の方を見ていたりして落ち着かないので、やっぱり何も考えないということ自体が無理。
すなわち、ストレスを感じないと意識することがストレスになる。
どうしたらいいのだろうか。
多少仕事をした方がストレスを感じない
そうやって無駄に時間を過ごしているのもストレスになるし、さらに、自分が休んでいることで仕事が溜まっていくであろうことも私を不安にさせた。
進化の激しい日本社会に生きる身として、こんなに働かないで休んでいて良いのだろうか。
そこで、完全に病欠するのではなく、1日あたりに労働時間を半分以下にするような仕事ぶりに変更することにした。
そうすると、体をそんなに酷使しない上に、全く仕事をしないことへの罪悪感からくる不安も多少解消される。
とても精神的なバランスがいい。
しかし、一日3時間でも働くと、次の日には耳鳴りが強くなっていた。
病院受診後三日程度でかなり耳鳴りが和らいでいたのに、たった3時間働いただけで難聴は元どおりに悪化してしまった。
たった3時間程度の労働は、知らず知らずのうちに大きなストレスになっているのだ。
私は絶望して泣いた。
私の聴力は元には戻るまい。
しかしその後一日休んでリラックスすると、また耳の聞こえはよくなったような気がした。
そこでまた3時間くらい会社に行って働く。
すると次の日には悪化する。
これの繰り返しであった。
とはいえ、繰り返しながらも、全体的には徐々に改善している感じはある。
が、静かな部屋に行った際の低音域の耳鳴りは依然として続いていた。
セカンドオピニオンで大病院に行く
診療所で診てもらってから1週間くらいが過ぎた頃、本当にこの治療法でいいのかどうか不安になってきたので、信頼できる大病院に行って、検査してもらった。
すると、聴力も問題ないし、手先の感覚も問題ない。
何か神経の反射を検査するような肉体的な検査もされたけれども、なんら問題ない。
したがって、ストレスを感じないように生活してメチコバールを飲み続けるという治療法は正解であり、対処法を変えたりとか入院したりとかする必要はないということだった。
私は、診療所の医者を疑ってしまったことを申し訳なく思った。
しかし個人的には、微妙に片側だけ耳鳴りがなっているような気がするし、低音域も右寄り左のほうが聞き取りづらいような気がした。
難聴になる前のことがそんなに思い出せないのでなんともいえないが、やはり耳鳴りはなっているような気がする。
その大病院の先生も、「突発性難聴」という用語は使わなかった。
この用語は俗語に近いのだろうか。全然知らないけど。
耳鳴りという後遺症は消えないかもしれないが、気にするレベルではない
というわけで、そんな感じでストレスをなるべく軽減させないことを意識して1ヶ月くらいは生活して、メチコバールが切れたらさらに診療所から追加で2ヶ月分くらい処方してもらったりしたので飲み続けたのだけど、やはり最初の2週間が勝負というのは本当のようで、初期の2週間で回復した時点でほぼ固まったような気がする。
つまり、聴力はなんら問題ないくらいに完治したと言えるかもしれないけれども、静かな部屋での小さな耳鳴りは依然として後遺症で残ったような気は多少する。
難聴になる前にももしかしたらこのような耳鳴りはなっていたのかもしれないのでなんともいえないけれども、もしかしたら突発性難聴発症の初日から通院していればもしかしたらもっと耳鳴りが改善されていたかもしれない可能性のことを考えると、やはり病気の知識は重要であると思った。
あの耳のくぐもりが病気であることが最初からわかっていれば、最初から治療を開始していたものを。
とはいえ、もうあれから10年近く経っていて、時折意識すると感じている耳鳴りにも慣れてごく普通の日常のことになったのでなんら問題ない。
あと、一度難聴になるとまたなるんじゃないかという再発の怖さはあったものの、一度も再発していない。
性格は多少不真面目にはなった。
突発性難聴の予防、対処法、治療法、及び心構えのまとめ
さて、私の経験から、おそらく心因性が原因の難聴にならないような秘訣をまとめると以下である。
- ストレスを感じないようにする(たぶん無理)
- 不真面目で適当な性格になる(真面目な日本社会において特に同調圧力が強い地域や組織に絡んでいると、結構無理)
- 他人の目線を気にしない(同様に同調圧力が強い社会に生きていると難易度高い)
- リラックスする(リラックスしようと意識するとリラックスできないというジレンマとの戦いがもう無理)
そして、仮になってしまったとしても、必要以上に怖がるほうがストレスを感じるので、あまり気にしないようにする。
まあ後遺症が残ってしまったとしても、それと上手に付き合って行くような前向きなことを考えたほうが良い。エロいこととか考えていたほうが良い。
そしてこれらを全部意識しようとするとそれがまたストレスの原因になるから必要以上に考えない。
しかしその必要以上、という程度がよくわからないので、またそれがストレスになってもう色々嫌になるからもう色々やっぱエロのこと考えたりゴリラを考えたり宇宙のこと考えたり虚無のこと考えたりして堂々巡りになってもはや自由意思がどうとか考え始めて思考が止まらなくなって、もはや私もどうしたらいいかわかりません。
「突発性難聴に聴く!心因性の難聴に効果的!」とか、「ストレスが消える!」とか堂々と言い張るものすごい薬でも開発されたら気が楽になるんですけどね。
これだけテクノロジーや医療が発展した現代において原因が不明な病気があるっていうこと自体がもうものスゴくて、そんな未知の点がたくさんある人体を普通に動かしてる我々はもうほんとスンゴイ。
それだけ高度な人体なのだから、多少耳鳴りが鳴るとかその程度の不具合はあってしかるべきであり、仮になってしまったとしても必要以上に落ち込まず、気にせず生きて行くべきでしょう。