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子供が大嫌いですマークをバッグにつけた女性が電車で隣に座って怖い

   

子供が大嫌いですマークをバッグにつけた女性が電車で隣に座って怖い

電車内でものすごい恐怖を感じた。


マタニティーマークの逆を行く怖さ

私は普段なるべく電車内では座らずに立つようにしているのだが、仮に着座したとしても、以前ここに書いたように私は常に電車やバス等の公共交通機関では妊婦さんに席を譲ることを考えている。

先日、夕方5時くらいに電車に乗っていた。

サラリーマンが帰宅の途につく電車内である。

座席に座っていたところ、目の前に女性が立った。

ハンドバッグから、バッグチャームだかキーホルダーだかバッジだか何だかしらないが、とにかく何かがぶら下がって揺れているのが視界の端に入った。

そこで私は「マタニティーマークではないか」との推測の元、顔を上げてそのバッグについているもののアクセサリーを見た。

その瞬間、背筋が凍りつくような恐怖を覚えた。

そのアクセサリーには子供が大嫌いですという文字が記載されている。

そしてその文字列の背景には、上記の「禁止マーク」が描かれ、その禁止マークの内部に、子供のような小さい人間のアイコン的なシルエットが描かれている。

これはやばいやつが目の前に立ちやがった、と思った。

明らかに曲がった考えを持った女性である。

別に私自身が育児中であって小さな子供を育てており、子供は可愛いし社会的に重要に決まっているので、それから外れた思想を持つ人を敵だと考えたいわけではない。

誰がどういう発想を持とうがその人の勝手であって、「子供が大嫌い」と考える大人が世の中に5割くらいはいてもなんら不思議ではないと思っているし、勝手にそう思えばいいと思う。

しかしながら、その思想を頭の中だけで留めずに、通勤のハンドバックにぶら下げて他人にアピールしている感じが変態的に凄まじいのである。

世間的に少子化や待機児童が問題になり、育児に対して寛容になろうという雰囲気が徐々に高まりつつあり、子供は社会的に良いものであるという認識が高まりつつある昨今、あえてその「良識」に反抗しようとする態度。

その「良識」に反抗することは、社会的にかなりの人数を敵に回すことは明らかである。

その上で、あえて「子供が大嫌いです」とアピールしているその覚悟は、相当のものである。

おそらく、会社内でも堂々とその「子供が大嫌いです」マークをつけているに違いなく、それを見た同僚はその女性を絶対に避けているに決まっている。

社内も危険人物として扱われているに違いないことは容易に推察された。

「会社内で浮いてしまっても構わない、それでもあたしは子供が嫌い。」

「社会の体制がどう動こうが知ったことではなく、とにかくあたしは子供が嫌いなんだ。」

誰を敵に回そうが知ったことではなく、社会から抹殺されようが揺るがない決意。

もはや子供に対する敵意が紅蓮の炎のように湧き上がっているに違いない。

服装も全体的に赤を基調としており、その女性の意志の強さが垣間見えた。

また、そのマークが明らかにパソコンで手作りして作ったであろうものであり、明朝体のフォントとどこかから拾ってきた素材を組み合わせて作成した画像とを掠れたプリンタでプリントアウトして市販のプラスチック容器に入れてアクセサリーにしているあたりが、非常にやばい。

「子供が大嫌いです」と記載された市販のアクセサリーが見つからないものだから、もう自作するしかない、と考えて頑張って作った感が滲み出ている。

そこまで彼女を駆り立てるものはなんなのか。

怖すぎる。

そしてその怖すぎる意志の塊が、子供が大好きな私のすぐ目の前に立ちはだかっているという構図が私をさらに恐怖させた。

子供が大好きですというマークをバッグにつけることも怖い

そこで私が考えたことは、「子供が大好きです」というマークを私はバッグにつけていなくてよかった、ということである。

私は育児をしていて子供は可愛いと思っており、子供は好きである。

しかし「大好き」かと問われれば、その程度はよく分からない。

結構イラつくこともある。

しかし基本的には好きであり、少なくとも嫌いではない。

だからと言って「普通」というのとも違う。

「子供は普通です」という表現は、なんとなく子供に対して無関心であり、まあ子供がいなくて育児とか無関心である人に多く見られるような発想だと思う。

したがって、私は「普通」よりは「好き」よりだと思うが、「大好き」ほどは好きではなく、まあ「割と好きな方」だと思う。

だから私が自分のバッグにバッジをつけるとしたら、「子供は割と好き」というマークである。

少なくとも「子供は嫌い」ではない。

だから私は、「子供は割と好きです」というマークをバッグにつけていなくてよかった、と安堵した。

仮にそのようなマークをつけていて、目の前に「子供が大嫌いです」マークをつけた上記彼女が立ちはだかったら、マジで暴力を振るわれるに違いなかった。

しかしそもそも「子供は割と好きです」というマークをつけることになんの意味があるのか。

なんのアピールなのか。

よく考えれば、「子供は割と好き」な人は結構多そうなきがするので、あえてアピールする必要はないのではないか。

どうせアピールするなら「子供は大好きです」くらいのレベルに子供が好きでないと意味がない。

そこで、「子供は大好きです」マークをバッグにこれみよがしにつけて電車内でアピールしてみることを想定した。

すると、意外にも、「子供は大嫌いです」マークをつけている効果と同様の結果になるのではないかということに思い至った。

どういうことか。

つまり、私は子供が割と好きだし、電車内で子供やその親御さんを見かけると、世間話をしたくなる。

しかし、知らない人から子供が声をかけられることは、「声かけ事案」として通報される恐れがあるくらいに、子供達やその親御さんは知らないおじさんに敏感である。

よって、子供たちやそのご家族は、知らないおっさんから話しかけられることは望んでいない。

となれば、「子供が大好きです」マークをつけているおっさんはきっと見知らぬ子供に話しかけるような社会悪であるとみなされて、そんなおっさんには誰も近寄らないであろう。

「子供が大好きです」マークをつけることは、逆効果になるのである。

結果的に、「子供が大嫌いです」マークをつけているのと同じ効果である。

「子供が大嫌いです」マークをつけている人間にも当然誰も近寄らない。

いや、むしろまだ「子供が大嫌いです」マークをつけている方がマシかもしれない。

なぜなら、「子供が大嫌いです」マークをつけている人間は子供に接触したがらないから、「声かけ事案」の犯人として警察に通報されるリスクから解放されているからである。

一方、「子供が大好きです」マークをつけているおっさんは常に警察に通報される危険性にさらされている。

間違って「子供が割と好きです」マークをカバンにつけていなくてよかった、と安心した。

子供が大嫌いになった女性の心理

話が逸れたが、私はその時、この女性はヤバいと思っていた。

何がヤバいか。

「子供が大嫌いです」というマークをつけているにもかかわらず、左手薬指に指輪をはめているのである。

結婚している可能性が高い。

そして結婚していれば、子供を産んで育てる方向性に力がかかる。

別に左手薬指に指輪をしているからといって必ずしも結婚しているかどうかは知らないし、仮にしていたとしても、相手が同性である可能性もある。

しかし基本的には結婚相手は異性の男性である可能性を想定できる。

そして男性と結婚していたとしても、結婚と子供を産むこととは完全に別物であるから、結婚イコール育児という話につなげるのはおかしいが、少なくとも今の日本の社会では結婚すると子供を産んで育てるというのが一般的なレールになっている。

したがって、世間からすると、結婚しているのに子供が嫌いというのはちょっと普通ではない思われる可能性があるので、なるべくなら子供嫌いなことは隠したいはずだ。

しかし、堂々と指輪をして結婚しているアピールをし、一方で子供嫌いであることをアピールするという二律背反しているようなアピール形態をとるあたり、もはやロックの世界である。

一般企業の会社員にロックの要素はいらないだろうし、会社内でロックなことをしても煙たがられるだけである。

それにも争ってロックをするこの女性は、もはやパンクロッカーであるとも言えた。

なお、見た目は普通のOLである。

そして私はとても気が弱いのでパンクロッカーの類の人間は基本的に苦手。

だからパンクロッカーの女性に関わりたくないので、席から立とうと思った。

しかし完全にパンクロッカーに道を塞がれていて立てない。

強引に立ち上がろうとすれば、ちょうど私の唇と彼女の唇とが接触するくらいの位置に彼女が立っているので、その時点で痴漢と間違われて逮捕される。冤罪事件怖い。

よって、私はそのまま席に座り続けることにした。

とはいえ、恐怖で読書する勇気もないし、意識が怖さで覚醒して眠ることもできないので、とりあえず彼女がどうしてそういう思想に至ったのかを考えた。

もしかしたら結婚当初は子供を望んでいたのかもしれない。

しかし、その後いろいろな不幸等が重なって、「私は子供が大嫌い」と自分に言い聞かせないと精神状況的に不安定になってしまったのではないか、と推測した。

そう考えると、彼女がすごく可哀想な存在であるように思えた。

何か手を差し伸べてあげたい。救ってあげたい、と思うようになった。

電車で知らない女性が隣に座るの怖い

そう考えていると、私の隣の席が空いて、そのパンクロッカーが私の隣に座った。

ヤバい。

まさか私が「この女性を救ってあげたい」とか考えていたことがこのパンク女性に伝わって、私に気を許し、私に近づいてきたのではないか。

これは罠だ。

ここで私が「心配しないで大丈夫ですよ」などと女性に声をかければ、その時点で声かけ容疑あるいは痴漢容疑で駅員室に連行されてその後執拗に恐怖を植えつけられて犯罪者に仕立てられるに決まっている。

「いや、私はこの女性の精神を解放させてあげて、安心させてあげようと思ったのですよ」

と反論しても駅員や警察は認めてくれないし、そもそもキモい。そんな反論をしているおっさんは確実に異常者だと見なされて詰む。

その上で私のスマホが押収されて、私のスマホ内にたくさんの我が息子の写真が入っているのを発見されたら、警察からは「児童ポルノの容疑で逮捕」とか言われるに決まっている。

「いや、私の息子ですから。自分の息子の写真を撮ることの何が悪いんですか。」

そう反論しても、警察は「お前のようなキモい奴が結婚できるはずもないし子供を持つことなどできるはずがないだろう」とか取調室で色々圧力をかけられて結局犯罪を認めてしまうことになるのだろう。

完全に濡れ衣であり、冤罪である。

さらに、スマホに子供の写真が入っていて私が子供が好きなことが上記パンク女性にバレたら、パンク女性から「お前は敵」とか怒鳴られながらフルボッコにされるに決まっていた。

ボコボコに殴られる上に、身に覚えのない理由で犯罪の容疑者に仕立てられて逮捕されるとかコスパが悪い。

だから私はすごく怖かった。

しかし何事もなく女性は途中の駅で降りていき、いつも通り普通の日常が訪れた。

電車の怖さを肌で感じた数分間だった。

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